民法

民法No.4[解答編]/一休の言葉(2)

 


・合格と不合格は、同じである。このことは、以前、このブログでも述べた。室町時代の僧、一休宗純(いっきゅう・そうじゅん)も、同じ趣旨のことを言っている。

<一休の言葉(2)>
「わざわいというものは、元々、福の裏返しにすぎず、福と禍は一筋の縄に過ぎない、と信じる」

・合格で慢心していたら、実務社会の失敗(不合格)につながる。逆に、不合格で頑張れば、次回は必ず合格する。

いずれにしても、たいしたことはない。問題は、この地球上の今日の瞬間を“大切に”“面白く”すればいいのである。

では、昨日の答えを示します。


民法No.4[解答編]

次の記述について解答せよ。民法の法名は省略する。

参考文献等
佐久間毅「民法の基礎1総則[3版]」(有斐閣 2013年)
潮見佳男「債権各論Ⅰ(契約法・事務管理・不当利得)第2版」・(新世社 2009年)
スク東先生「スク東先生ブログ」(スク東先生 2016年~)

【問➀】OGKは,「OXILEのHIPHOP塾」を開業するために,AからA所有の建物を賃借した。OGKは,「このままでは狭いっすね。熱いヴァイブスに溢れたlyricを書くためのスペースを更に作っていいっすかね。大丈夫そうすかね。生徒に届けるぜrhyme,誰もマネできねえオレのlife」とAに伝え,Aの同意を得て同建物に増改築を行った。この事例においてOGKは,同建物を退去する際,増改築部分の所有権の帰属を主張することができるか。なお,「OGK」で一個の名前である。
【解答】この問題を解答するに当たっては,増改築部分に(1)「独立性が認められない場合」と(2)「独立性が認められる場合」に区分して検討することが必要となる。
(1)「独立性が認められない場合」
増改築部分はA所有の建物と付合する(強い付合)から,建物の所有者Aに帰属する(242条本文)。また,付合する場合は242条ただし書が適用されない(242条ただし書は「附属」であって「付合」ではない。)ので,AがOGKのために増改築部分の所有権を留保することはできない。
(2)「独立性が認められる場合」
ア「権原」の意味を明らかにする
この場合,増改築部分はA所有の建物と「付合」しないから,仮にOGKに増改築部分の「権原」(242条ただし書)が認められる場合,OGKは増改築部分の所有権を得ることができる。
ここでいう「権原」とは,242条ただし書が不動産の所有権者以外の者に附属物の所有権取得を認める規定であることから,附属物の所有権留保を正当化する権利といえるだろう。繰り返すように,「附属」であって「付合」ではないことを確認しておこう。
イ「権原」が認められるケースとは
では,「権原」が認められるケースを検討しよう。
まず,OGKの建物賃借権は「権原」ではない。建物賃借権はあくまで建物の使用収益権であって,建物を増改築したり増改築部分の所有権を賃借人に付与(留保)する権利まで賃借人に与えるものではないからである。
では,Aの同意を「権原」と見ることはできるか。ここでは,Aの同意の趣旨を明らかにせねばならない。もしAの同意の趣旨が,「OGKさん,この建物に増築でも何でもして好きに使っていいよ。改造しても文句は言わないよ。」という程度の「目的物の用法遵守義務違反(616条,594条)による債務不履行にならないための同意」であれば,Aが増改築部分の所有権を留保することまで同意したとはいえず,「権原」と見ることはできない。
これに対して,Aの同意が「OGKさん,増改築部分はあなたにあげるよ。」ことを意味する同意(増改築部分の所有権留保の同意)であれば,「権原」と見ることができるだろう。
【問②】「数量指示売買」の定義
【解答】当事者において目的物の実際に有する数量を確保するため,その一定の面積,容量,重量,員数又は尺度あることを売主が契約において表示し,かつ,この数量を基礎として代金額が定められた売買をいう。
【問③】数量指示売買において,当事者が契約で定めた数量を超過していた場合,565条の類推適用によって超過分の代金増額請求ができるか。
【解答】できない。565条の趣旨は,売主の無過失責任を認めることで買主の信頼(契約によって定められて代金額の基礎とされた数量が存在すること)を保護する点にある(売主の担保責任)。そうすると,代金増額請求は売主の代金増額への期待を保護するための請求であるから,買主保護を予定する565条の趣旨が相当しない。したがって,代金増額請求において565条の類推適用は否定されるべきだろう。もっとも,当事者間の契約を合理的に解釈し,代金増額請求を認めるべき特段の事由が認められれば別だが.いずれにせよ565条類推適用は認められない。
なお,「類推適用」と聞くと,時々「直接適用ができないことを示さなければ悩みを示すことが云々かんぬん」と機械的にあたかも“パブロフの犬”のように反応する向きがある(犬ゴメン!)が,本問は「類推適用の可否」を問うているのだから,そのような反応は正しくないだろう。この種の反応こそ「機械的暗記」に基づくものだ。826条の適用否定からの93条ただし書類推適用の場面についても同様に「93条直接適用云々」が必要かどうか。
【問④】表見代理(109条等)における「第三者」に,転得者(代理行為の直接の相手方からの譲受人)は含まれるか。
【解答】含まれない。表見代理における「第三者」とは代理行為の直接の相手方に限られ,転得者は含まれない。転得者は代理人の代理権の存在を信頼して取引に入るわけではないからである。下記⑤との違いに注意。
【問⑤】94条2項の「(善意の)第三者」に,転得者は含まれるか。
【解答】含まれる。94条2項の趣旨は,虚偽の法律行為によって作出された外観を信頼した者を保護する点にある。上記④と異なり,転得者が前主との取引において虚偽の外観を信頼することはありうる。④⑤を通じて意識したいのは,「取引に入る者は,何を信頼の対象としているのか(信頼を保護するに足りるか)」だ。「登記制度の信用性を維持するため」ではないので注意しよう。「登記制度の信用性を維持するため」は,一見もっともらしいが,視点が逆転している。本問における登記の存在は,「信頼」(取引の安全の保護)を正当化するものであって,登記制度の信用性を維持するために信頼を保護するのではないからだ。そもそも本問における登記の存在は,(177条の場面とは異なり)権利帰属を決するものではないだろう。なお,主観的事情の内容を明らかにすることの重要性は,93条ただし書類推適用の場面や会社法423条等,多くの場面において見られるところである。
【問⑥】相続人が遺留分を放棄しない限り当該相続人に帰属する遺留分減殺請求権は,債権者代位権の対象となるか。
【解答】ならない。遺留分減殺請求権は原則として債権者代位権の対象とはならないが,例外的に対象となる場合がある。遺留分権利者がこれを第三者に譲渡する等,権利行使の確定的意思を有することを外部的に表明したと認められる特段の事情があるケースに限られる。そのため,「相続人が遺留分を放棄しない限り」という理由によって債権者代位権の対象となるわけではない。
【問⑦】ある土地に抵当権を設定したところ,同土地には庭石が置かれていた。
(1)土地上の庭石に抵当権の効力は及ぶか。
(2)庭石が置かれたのが土地に抵当権が設定された後の場合はどうか。
【解答】(1)及ぶ。ここで解決すべき問題は,370条「付加して一体となっている物」に土地上の庭石が含まれるかどうかである。庭石は,土地上に置かれた物であって,移動可能で独立性がある。土地そのものを構成する物(付合物)ではない。そのため,「付加して一体」とは言えないのではないか。
土地上の庭石は,土地の経済的な価値(効用)を高める従物である(87条1項)。他方で370条の趣旨は,目的物の交換価値を高めて抵当権者の目的物の価値把握権を保護することにある。そうすると,370条「付加して一体となっている物」とは物理的一体性のみならず経済的一体性をも含む。したがって,従物も抵当目的物との関係で経済的一体性が認められるので,従物たる土地上の庭石は「付加して一体となっている物」に当たる。
(2)及ぶ。上記370条の趣旨からすれば,抵当権設定の前後に関わらず抵当目的物の経済的価値(効用)を高める従物は「付加して一体となっている物」に当たる。
【問⑧】ある建物の建築工事において,基礎工事が完成した段階を「仕事の完成」と見てよいか。理由と共に解答せよ。
【解答】建物の建築工事において,基礎工事が完成した段階を「仕事の完成」と見ることはできない。「仕事の完成」と見ることができる段階とは,予定された仕事が一通り完成した段階(建物の建築工事であれば建物が一通り完成した状態)をいうからである。
また,633条が報酬の支払時期について「仕事の目的物の引渡しと同時」(本文)あるいは仕事の完成後(同ただし書が準用する624条1項・労務の提供=仕事の完成)としていることから,633条以下の「仕事の目的物」とは仕事の完成後を意味するといえる。すなわち633条以下の条文が規定する「仕事の目的物」とは,仕事完成後の状態を指すというべきである。634条は請負人の担保責任として瑕疵修補責任を規定するが,瑕疵修補という概念は「仕事の完成」がなければ観念されないものだ。
本件の「仕事の目的物」(633条,634条等)は,建物そのものである。そのため,基礎工事の段階では「仕事の目的物」の存在が認められず,「仕事の完成」と見ることはできないことになる。

【スク東先生は街角の風に吹かれて】
スク東先生は,今日も定刻(17:00)に風と共に颯爽と現れる。「エキサイトバイク」のテーマをBGMにして。このテーマ曲は,緊張感の中にもどこか穏やかな空気が流れており,スク東先生のブログの雰囲気にマッチしているようだ。
では,今回もスク東先生ブログから学ぶべき点を探求していこう。
今回のスク東先生(以下,「先生」という。)ブログから学ぶべき点は,「言葉にひと工夫加えよう」である。このひと工夫により言葉を大切にしながら自らの視点を伝えやすくなる。また,読み手に対しても説得性をもつだろう(逆に言えば,このひと工夫がなければ「使い古された言葉」(「暗記」「理解」「論理」「本質」・・等々の言葉)は陳腐なままであり,その意味が正しく伝わることはない。「口ごもっていた方がまし」なのだ)。
再三述べている通り,先生は「反暗記・親理解」だ。その姿勢は極めて明快かつシンプルである。しかも先生の一貫した姿勢(Ism)であり,ブレることはない。
例えば,花子さんの回答に対して先生は,すかさず「それだとただの暗記ですね。」と述べて叱責する。先生は,花子さんの回答に少しでも「暗記の香り」を嗅ぎ取ると,素早く花子さんの回答に突っ込みをいれる。さながら獲物を見つけた猛禽類(どちらかというと肉食獣か)ごとし。その突っ込みが「寸鉄人を刺すがごとき」かどうかは分からないが,一定程度鋭いような気がする感じを醸し出してはいる。
ただ見方によっては,花子さんの回答が必ずしも暗記ではないのに,先生の突っ込みには「とりあえずビールならぬとりあえず暗記と評する」という姿勢が見えるとも言えなくもない。花子さんは,きちんと該当条文や判例を指摘したり,条文の目的にまで言及しているのだ。これをもって「(機械的)暗記です」と断定するのはいささか酷である。意地悪な見方をすれば,「あなたの回答は(機械的)暗記だ」という断定は「相手より優位に立ちたいがためのレッテル貼り」となってしまっている気がするのだが,それってどうなのか。もっと別の言い方があるんじゃないのか。言い回しを工夫しないと,単に「暗記という言葉を安易に使って満足し,それ以上のコミュニケーションを拒否しているだけ(「ウザイ」「ムカつく」で全てを片付けようとするのと同じ)」「それ,言いたいだけでしょ」と思われかねない。
さらに筆者としては以下のようなことを考えた。「・・先生,畏れながら申し上げます。暗記という言葉を用いずに,花子さんの回答の問題点を指摘していただければ・・・。暗記という言葉に頼ると,それを連呼するだけで何も言ってないに等しいと言われかねません。例えていうならば『1+1=2だぞ,皆どうだい?知らないだろう。』と言いながら得意げな顔をしているようなものです。田原総一朗氏であれば,『スク東先生,そこが訊きたい!あなた暗記がいかんと言うけど,具体的にどこがどういけないの?(横から口を挟んだ別のパネリストを制して)あなた黙ってて!私はスク東先生に訊いてるんだよ!まあいいや,CM!』と言うでしょう。同じことは,『論理』や『本質』いう言葉についても言えますね。この言葉を振り回すことは,時として中身の乏しさを糊塗し相手を威圧しているように見えます。ところで,普通は『1+1=2なんだよ』ということをひたすら連呼する人はいませんが,『機械的暗記はよくない(対して私はすべてを理解している)。』『あなたは論理的でない(対して私はいつも論理的だ)。』『本質を探れ(対して私は即時に本質を突ける)。』と連呼して喜んでいる人はたまに見かけますね。私にはこれが非常に不思議なのです。『1+1=2』も「(機械的な)暗記はよくない」『論理的に考えよう』『本質を探ろう』もいずれも『当たり前』という点で共通しているのに,なぜそんなに“どや顔”なのでしょうか。有史以来(あるいは遅くとも地球が純然たるジュラシックワールドだった頃から)これらが『当たり前』であることは明々白々なのに。もちろん筆者も含めて『当たり前』がなかなかできないからこその連呼なのかもしれないですが,だからといってこれらの言葉だけをスローガン的に連呼したって『意味ねえんじゃねえ?』(長渕剛「幸せになろうよ‘04」におけるZEEBRAパート)と思うのです。
しかし,先生のことだ。筆者の上記考えは,(例によって)あくまで表層的・図式的な偏頗なものであって,先生は教育的視点から的確に指摘しているはずだ。先生は,経験によって培われたカンによって受験生の回答の問題点を即時に見抜き,『暗記した知識だけを述べている』ことを本能的に感じ取ることができるのかも知れない。
更によくよく先生のブログを読むと,先生は最終的には花子さんに対して深く考える(「考える」・・この言葉も錦の御旗のごとく振り回したがる向きがある。しかし,実際やって見・・もといみると愕然とするのだが,試験勉強の場面に限って言えばちゃんと「考えている(頭脳を働かせている)」時間など実はわずかなものである。しかし,車寅次郎ではないが「それをいっちゃあおしめえよ」なので,「考える」ことの意味についてはここでは議論しない。)ことを求め,花子さんがそれに一定の解答をし先生がこれにコメントと補足をする。こうした一連の過程を通じ,「なぜ今回の回答が(機械的)暗記だったのか,どこをどうすれば(機械的)暗記の回答でなくなるのか」をきちんと示している(気がする)のだ。この先生の誘導は,「(機械的)暗記はよくない」という「使い古された言葉」に「工夫」を加え,「論理的であること」「本質を突く」に迫ろうとする試みにほかならない。我々読者はこうした先生の「工夫」を学び取りたいものだ。
「使い古された言葉でもちょっと気を利かせてみると口ごもるよりはましな歌も探し出せるさ」(尾崎豊「街角の風の中」(英題はTWILIGHT WIND)・1987年)


・受験生の中に、合否にアタフタする人がいる。もっと、心を広くもって、深くのものごとを見るとよい。試験の合否より、試験(問題)の本質をついてほしい。

絶対合格!!

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